幼少期のトラウマからの生還(自叙伝)

ヒアリングサービスオハナの心理カウンセラーの山本です。

 

虐待されて育った人はうつ病などを発症しやすく、また治りにくいと言われています。薬も効果はなく、療法も効きにくいという研究発表があるそうです。

 

私も19歳でうつ病になったときには、精神科の治療は全く効果がありませんでした。

  

ご自身が過去に保育者から何らかの形で虐待された経験をお持ちなら、今もなお苦しんでいる方もいらっしゃるかと思います。

 

私も虐待された経験があるので、参考になるかどうかわかりませんが、お役に立てればと思い掲載しております。

 

同じような経験をされた方は、思い出して辛くなるかもしれません。

無理のない範囲でお読みいただければと思います。

 

幼少期のトラウマからの生還

わたしの経験談

 目 次

   

・わたしの幼少期

 

・受け入れたくない過去… 「虐待なんてなかった」

 

・自分がわからない

 

・感情がコントロールできない

 

・人生の転機

 

・ステップ1 ありのままを受け入れる

 

・ステップ2 自分の中に住み着いている厄介な住人に出ていってもらう

 

・ステップ3 思考回路を新しくプログラミングする

 

・インナーチャイルド癒しの効果 初めての「生きている」感覚

  

・最後に 同じ苦しみを抱えている方へ

 

わたしの幼少期

 

私の母は20歳で結婚、間もなく姉を出産しました。

 

若くして母親になったからか、母は育児ノイローゼになり、生まれて間もない姉を両親に預けます。

 

しかし、夫婦関係が上手くいかず母自身も親元に戻りました。

夫婦の別居が3年続いたころ、母はキリスト教に入団します。

 

教団から夫婦仲を戻すように諭され、夫のもとに戻りました。

 

戻ったものの一週間で限界を迎え、もう修復は不可能だと実感し、離婚を決意して実家に戻りました。

 

離婚の話がまとまったころ、母がお風呂に入っているときに「梅干しが食べたい。」とふと思ったそうです。母はハッとしました。妊娠していることに気が付いたからです。

 

3年ぶりに夫のところに一週間だけ戻ったときに、お腹に宿ったのが私でした。

 

両親からは、「一人も育てられないくせに、もう一人産んでどうする気だ。すぐに下ろせ。」と散々言われたと言っていました。(姉は祖父母に預けられた時点で両足の股関節を脱臼しており、リハビリで歩けるようになったのが3歳だったため手がかかったようです。)

 

母が入団したキリスト教では堕胎は許されないので、板挟みで追い詰められた母は何も食べずに死のうと思い、10か月ほとんど何も食べなかったと言っていました。

 

しかし、母は死ぬことはなく、私も無事に産まれました。

 

そのような理由で、私は望まれた子ではありませんでした。

 

母は、調子がいいときは「あなたは神様の子。だから不思議なことが重なって奇跡的に産まれて来た。」と言ってくれましたが、大抵は「あんたみたいな子は、産むんじゃなった。苦労ばかりする。あなたは、母さんみたいな苦労したくなかったら子供なんか産むんじゃないよ。」が口癖でした。

 

気に食わないことがあれば、ゴムホースや長くて大きい定規で水ぶくれができるほどお尻を打たれるので、痛みで数日は椅子に座るもの困難なこともありました。

治っては、叩かれを繰り返す日々。

 

母を恐れていたので反抗的なことを言葉することはありませんでしたが、不満が表情に出てしまうと「目つきが悪い。育ててもらってなんだその態度は!」と顔がしびれるほど強くひっぱたかれました。

 

母は地球環境を配慮してのことなのかわかりませんが、お風呂は2、3日に一回。洗濯は3日に1度しか出してはいけませんでした。TV番組は母が見る以外に勝手につけてはいけませんでしたし、漫画もゲームも禁止。ですから、私は同世代の人とさえ当時流行っていたものの話題に、ついていくことができません。

 

母は「学校って大嫌い。面倒くさい。」といって参観日には来なかったし、学校からのプリントは見ないで捨てらました。

 

学校の行事は、宗教上の理由でほとんどが参加できませんでした。

学校の運動会に出ることも許してもらえませんでした。

 

私には、母親に遊んでもらった記憶が一度もありません。

欲しいものを買ってもらえたこともないし、買ってほしいと頼んだことも一度もありませんでした。

 

幸い、祖父母が近くに住んでいてお小遣いをもらえたので、洋服など必要なものは自分で買うことができました。

 

 

もらったお小遣いが2万円以上になると母親にあげていました。

母に面倒なことを話しかけると「疲れているんだから、迷惑かけないで。」と不機嫌になるので、学校であった良いことも、悪いことも、母には言わないようにしました。

 

母から誕生日をお祝いしてもらったこともなければ、「お誕生日おめでとう」の言葉をかけてもらったことも一度もありません。クリスマスにサンタさんが来ることも一度もありませんでした。

母から「将来は何になりたいの?」と聞かれたこともないし、「勉強しなさい。」と言われたこともありません。好きでも嫌いでもなく、きっと関心がなかったのでしょう。

 

そんな母親も、私のことで一つだけ気にかけていたことがありました。

それは、私に付き合っている人がいるかどうかでした。私の学校生活にも全く興味のない母でしたが、家庭訪問の一番最初に先生に聞くことは「娘は誰かと付き合っていますか?好きな人っているんでしょうか?」でした。用事があって、男の子から電話がかかってくると永延と怒られました。かけて来た男の子も電話で永延と怒られていました。次の日には学校で話題になってしまうので、男の子には近寄らないようにしていました。

 

小学校5年生のとき学校で転んで左腕を複雑骨折した時、連れていかれたのは病院ではなく母が好きな先生がいる接骨院でした。私が痛みで泣いているのに、母はその先生に抱きついて、はしゃいでいました。接骨院でも、折れた個所を(一か月以上)固定はしてもらえたのですが、その後のアフターケアーやリハビリはありませんでした。その時にケアーがされなかったために上半身左側の筋肉が衰弱し、右の筋肉に骨が引っ張られて背骨が大きく曲がってしまいました。

学校から検査を受けるように言われて病院に行くと、曲がった骨を矯正する器具は保険外で、1万円すると医師から言われると、母は断りました。

母は、その帰り道で泣いている私を気にかけることはなく、ひとりでさっさと車に行ってしまいました。

私は、自分で寝るときに湾曲している側を押し付ける枕を手作りして矯正しようと何年も頑張りましたが、効果はありませんでした。今でも、背骨は湾曲したままです。

 

母子家庭でしたが、お金がなかった訳ではありません。

祖父母は公務員で毎月数十万を援助してくれていました。私たち姉妹の生活は貧しかったのですが、母は高級なコートやワンピースを買っては私たちに自慢していました。

 

私が中学生になると、「もうこれ以上自分の好きなことを我慢して子育てしたくない。もう十分育ててもらったでしょ。こんな窮屈な生活に嫌気がする。」といって親戚の家に預けられました。私は親戚や祖父母の家を転々としながら暮らしました。

 

私を親戚に預けている間、母は裸同然のセクシーな水着をたくさん持って年に5回も一人でハワイに遊びに行っていました。黒人の彼氏に会いにです。

 

私の高校時代は、定時性高校に通いながら2つのアルバイトを掛け持ちして、そのほとんどを母親に生活費として渡していました。さらに、心不全で倒れた祖母の介護をし、未婚の母となった姉の子供の面倒を見て、ほどんど休む暇がない状態が続きました。そして、私は倒れました。

 

40度の高熱が一週間続き、病院にいくと肺炎と診断されました。

医師から「検査の結果、栄養失調になっていますね。きちんと食べていましたか?」と言われると、母は「栄養失調だって!」と大笑いしていました。

 

母は子育てにはあまり向かない人だったようで、生まれたばかりの姉を両親に預けてしまったり、もう育てられないと言っては何度も両親と喧嘩したようです。両親は、物質的な支援をすること、また可能な限り自分たちも面倒を見ることを条件で、母は仕方なく私たちを育てていたようでした。

 

母なりに母親になろうと努めていたのかもしれませんが、母の育て方はあまり健全なものではなかったと思います。

 

 

受け入れたくない過去・・・

「虐待なんてなかった」

 

私は虐待されて育ったことを否定して生きていました。

 

なぜなら、

 

母から安心や保護をもらえない。⇒ 愛される価値がない。

 

自分の子供すら大切にできないような人間から生まれた。⇒ 自分にもそのDNAが入っている。

 

どんなに頑張っても認めてもらえなかった。⇒ そんな価値のない人間だ。

 

と思っていたからです。

 

「虐待なんてされていない。」と思いたい気持ちが真実を見る邪魔をしました。

 

親は子供を見捨てても、子供はなかなか親を捨てられないのです。

 

どんなに虐待されて施設に保護されても、親からもらったぬいぐるみを抱きしめて肌身離さずもっている子もいます。

 

親を否定したら自分がいなくなってしまう。

 

自分の存在意義が大きく揺らいでしまうからかもしれません。

 

だから自分を悪者にするのです。

 

母が怒るのは、自分がいい子ではないからだと。

 

自分が負担をかけているから悪いのだと。

 

自分がわからない

 

私は母の笑顔が見たくて、母の辛そうな顔や怒っている顔を見たくなくて、

いつも必死で頑張っていました。

 

毎晩、母が寝るまえに全身をマッサージしながら、母が喜んでくれそうな話をしていました。そうすると、母は「あなたはいい子。ほんとに優しい。」と穏やかな表情で褒めてくれました。

 

普段の生活では母を笑わせ、恐ろしい雰囲気を作らないように努力しました。

 

母は大笑いしながら、「あなたがいるからお母さんは癌にならないですんでいる。あなたがいてくれると、笑いが絶えない。いなくなったらお母さん病気になるだろうな。」と言ってくれました。

 

母は、私のすべてでした。なぜなら、

 

母を喜ばせることが、私にとって唯一のほっとできる時間だったからです。

 

身体的虐待も精神的虐待も止む時間。自分に関心を寄せてもらえる時間。

 

母が幸せな顔をしている時は、自分が生きていていい時間でした。

 

しかし、その代償は大きかったと気が付いたのは大人になってからでした。

 

相手の顔色ばかり見て暮らしてきた私は、自分が何を求めているのか、どんな人間なのか全くわからなくなりました。

 

自分がどんなことが好きでどんなことが嫌いなのか分からないため、「好きな食べ物は?」と聞かれるだけでパニックになるので、常に緊張して生きていました。

 

感情がコントロール出来ない

 

また、誰かが何気なく言った言葉もバカにされているように感じ、学校では喧嘩ばかり。

 

中学生になっても女の子なのに殴り合いが絶えず、「いつか人を殺してしまうのではないか?」という不安がいつもありました。

 

常に怒りが身体の中に閉じ込められているように感じ、何かのきっかけで制御できなくなるようで、自分でいて自分にはどうしようもない部分があるのが怖くて仕方なかったのです。

 

人生の転機

 

私の人生の転機は、子供が生まれたことだったと思います。

 

逃げることが出来ない状況で問題に向き合うしかなくなったからかもしれません。

 

「お前なんか親になれない。このろくでなし。」

 

自分の中にこだましているその考えを黙らせる方法が知りたかったからです。

 

母は幸せを求めて苦しみ、子は母を求めて苦しんだ。

母を育てた祖母もまた幸せそうではなかった。

 

だから、私の代で不幸は終わりにしたいと思いました。

 

ステップ1

ありのままを受け入れる

 

私の母はそんな育てかたをしても、「あなたを愛しているのよ」と言っていました。

 

それが本当か嘘かはわかりません。

母がはたして ” 愛 ” を知っていたのか、私には分からないからです。

 

親が自分を愛していたのか、憎んでいたのか、そんなことを考えても誰も答えは出せないのかもしれません。

 

重要なことは、自分の幼少期は

「安心できる状況ではなかった。」

「安全に自分を表現する環境がなかった。」かどうかということ。

 

もし、そうなら事実を受け入れるということではないかと思います。

 

子供にとって大切なことは、

  • 無条件で受け入れられる場所があること。
  • どんなにイヤなことがあっても、安心して話せる人が傍にいること。
  • 尊敬できる大人、信頼できる大人の存在が身近にあること。

これらのことが抜け落ちてしまうと、大人になっても ” 生きにくさ ” をずっと抱えて生活することになります。

 

これらのことが備わっていない環境だったかたは、自分には当然あるべき安全地帯がないまま、がんばってここまで生き抜いてきたんだと認めることが最初の一歩ではないかと思います。

 

ステップ2

自分の中に住み着いている厄介な住人に出ていってもらう

 

私たちのような虐待を経験しながら生き残ってきたサバイバーは、生きていくうえで世の中では必要ではないような思考回路を持っていることも多いものです。

 

世の中にでて、はじめて自分は異端なんだと気が付くことがよくあります。

 

それは、今まで生きていた世界が ” 普通 ” が通用しない世界だったからです。

 

助けを求めることも十分にできず、生き残るために身に付けなくてはいけなかった独自の方法です。

 

他の人には私たちの考えが異端でも、私たちにとってはなくてはならないものだったもの。

 

たとえば、自分を責めて不安に駆られるのは、親よりも早く自分が責められるかもしれない所に気が付くことで暴力を回避できるからです。

 

または、見下すような卑劣な言葉を、自分が自分に先回りして言っておくことで、親から酷い言葉を投げられたときに免疫の役目を果してくれました。

 

でも、今はもうそれは過去にこと。

 

もう、なくてもいいもの。

 

だから、「今まで守ってくれてありがとう。でも、ここからはもう大丈夫。さよなら。」が言えるときだと気が付くことで心に住み着いている厄介な住人とお別れすることができます。

 

ステップ3

思考回路を新しくプログラミングする

 

心に住み着いている厄介な住人とお別れすることに成功したら、

 

思考回路を新しくプログラミングしましょう。

 

例えば、私が誤解していたものは、このように変化しました。 

 

母から愛されない、愛される価値がない。 ⇒ 母は全人類の代表者ではない。

 

自分の子供すら大切にできないような人間から生まれた、自分にもそのDNAが入っている。 ⇒ 人間の弱さも知っているから優しくなれることもあるのではないか。

 

どんなに頑張っても認めてもらえなかった、そんな価値のない人間だ。 ⇒ 所詮は同じ人間で、人間が人間に値札をつけれるのか?そんな偉い人間はいないのではないか?

 

他人の意見や評価は、打算の上にあることもあるので、

誰かに気に入られるために、自分をなくすのは止めようと。

 

破壊的な考えから、建設的で自分を肯定できる考えに変えていくことで

ありのままの自分を受け入れることができるようになります。

 

ありのままの自分を受け入れことができれば、他人の欠点も気にならなくなるから不思議なものです。

 

そして、私は「NO」と言うことも覚えました。

 

もう、愛する能力がない人に振り回されなくて良くなりました。

 

母親に愛されようと必死になるのではなく、愛する能力もない人に愛されようとして、無駄に努力することはやめようと思いました。

 

インナーチャイルド癒しの効果

初めての「生きている」感覚

 

「自分の本当の価値は、今までどんな扱いを受けて来たかではない。

 

自分に価値があるかどうかはこれからの生き方次第で決まるではないか?

 

死ぬときに自分の生き方が評価される。それは、他人ではなく自分自身から。

 

だから、自分が死ぬときには自分に誇れるような生き方をしよう。」

 

と思いました。

 

それが、今 私が生きる意味です。

 

誇れる自分に成りたい。死ぬときに自分に褒めてもらいたい。

 

その時から、人生で迷ったときはどちらを選択したほうが自分の長所が生かされるのかを考えるようになりました。

 

残りの人生は、生きにくさに悩む全ての人、特に恵まれない環境で育ち、成功するチャンスさえなかった人の支えになれるような存在になりたい。

 

それが、カウンセラーとして生きていこうとおもったきっかけでした。

 

被害者は加害者になることもあり、だれが被害者だったのか、傷つけることは仕方のないことだったのかわからなくなるようなこともあります。

 

被害者は加害者になる可能性もあるかもしれませんが、一方で被害者は救済者にもなれると私は思っています。

 

自分を肯定できるようになると、「自分は何のために生きていきたいのか」

わかるようになります。

 

最後に

同じ苦しみを抱えている方へ

 

ギリシャ神話に出てくるパンドラの箱をご存知でしょうか?

 

パンドラの箱を開けたら、悲観、不安、憎悪など恐ろしい災いが中から出て来たお話です。

 

しかし、すべての災いを出し切った最後に出て来たものは「希望」でした。

 

私にとって開けたくないパンドラの箱は、自分の過去でした。

 

パンドラの箱を開けるように、真実をありのままに見ることは、絶望を見ることと同じでした。

 

しかし、パンドラの箱のように一番底には光がありました。

 

悲しみを出し切った先には、自分を犠牲にしない生き方がありました。

 

母に対して恨んだり、怒りがこみ上げてきた時もありました。

 

責めたくなる気持ちもありましたが、話してわかるような相手ならこんなに苦しまなかったのではないかと思い、距離を取ることができるようになりました。

  

これを読んでくださっている方は、問題と向き合おうとされていらっしゃる方だと思います。

 

あなたが、今見ているもの、感じているものはパンドラの箱のどの部分でしょうか?

 

その部分は、まだ絶望しかないように見えているでしょうか?

 

大いなる災いをもたらすパンドラの箱でさえ、その底には希望がありました。

 

ですから、あなたの箱の中にも、希望があるはずです。

 

私が出来るのは、ともにその箱から絶望という記憶を一つ一つ取り出して分解し、

 

そこにある希望を見つけることです。

 

もし、向き合いたいお気持ちになったときにはお役に立てれば幸いです。

 

この記事を公開するにあたって、「親のことを悪く言うなんて、いいのだろうか?」と何度も悩みました。賛否両論あるのではないかと思います。

 

しかし、克服した経験を自分が話すことで今苦しんでいる方が、「自分だけが特別ではないんだ。」そして、「生きにくさは克服もできるんだ。」と思っていただければと思い公開しておりますので、ご理解いただければ幸いです。

 

不快な気分にさせてしまった方がいらっしゃいましたら、心よりお詫び申し上げます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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